東京国際空港からの離陸
何も考えず思い立った事を実行するのみ。 若さに任せ将来の展望など持たず。 心に決めて居たのは最高の技術 オートクチュールを学びたかっただけである。 そして自分の亥年中に如何しても渡仏を実現したかった~~~
当事一番安いアエロフロート便、片道18万円のチケットを大事に握り締め、月賦で買ったお気に入りの赤い スエードの半コートに身を包み~ 20kgのサムソナイトを持って羽田空港を飛び立った。 どんより曇った日だった。 家族と親しい友人に見送られて飛行機に乗り込んだ… 機体が見えなくなる迄、手を振り娘の名を呼び続けた~ 父親の姿を知る由も無かった~~~
途中給油で止まるのはモスクワだけ~と、説明を受けて居たので、飛び立って直ぐに着陸した時は何も解らず、疑問も持たず 『 ここがモスクワか…』 と。 今思い出せない位、印象の薄い場所だった。その後もう1度着陸。 おろされた空港は辺り一面雪に覆われ、軍服に銃を持った兵隊に見守られ~ て居たのでは無く監視されて? 着陸。 ソ連時代のモスクワだった。 連れられて入ったのは、空港と言うより5~60年代の日本の公立小中学校の~ 体育館を思い出させる様な、殺風景なガランとした建物だった。
知らぬが仏と言うのか… 歴史や地理、政治など全て学校にお返しして来た私には、共産圏に危機感を抱くすべも無く~ソ連モスクワが何で有るかなど知る由も無く、見る物全てが初体験 『 へェ~…』 と言う~ 誠にあっけらかんと過ごした 数時間だった。 後で解明したのは、始めに給油に止まった所がナホトカだったと言う事。 でも私だけで無く、仏人の友も同じ様に当事ナホトカでの給油の事情は聞かされて居無かった~と話していた。
やっとパリに辿り着いて飛行機のタラップを降りながら『あ~是が巴里のオルリー空港か』と感激に浸る間も 無く、同乗の日本人カメラマンにホテルの住所を見せると『此処からは随分遠いよ…』と言われ『でも空港の傍のホテルを予約してもらって置いたのですが…』
荷物を持って外へ出ると、思いも掛けず友人が迎えに来て呉て居た。 友人は 『 空港が変って慌てて飛んで来た。 此処はオルリー空港じゃ無い、ブールジェだ!』 と聞かされ~ 宛てにしていなかった友人の出迎えに、救われた思いだった。 然し到着空港の変更等、何のアノンスも無かった様に感じたけれど… 解らなかったのは私だけか???
その夜は凱旋門を背にシャンゼリゼを闊歩した。 色々トラブルずくめの巴里スタート~ 回想録