巴里便り~今昔★オートクチュール修行@70年代

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再会 

1972年5月23日(火)
日本でクレギーのママに逢ったのは、私が未だ14~5歳の頃でした。 今、私も彼女が来日した同じ年頃になり、二人水入らずで辞書を片手の会話。 でも色々理解し合えた事は嬉しいです。 下手でも通訳を通さず直接、話したり聞いたりする方が、お互いの理解が深まります。
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≪ドイツ:ELTVILLE≫
ママさんは『(彼女の)母、姉妹はテキサスに生れ育ち生活して居て、他国を知りません。 でも自分はテキサスを飛び発ち日本人の家族に出会い、外国で多くの経験をしました。 貴女も日本を出て異国で生活する事は   大変良い経験です。巴里の友人を大切に』と、まるで姉妹とでも話している様な、アドヴァイスを頂きました。

一回目に訪れた時はそれこそYes、Noだけで、英語を殆ど忘れていました。 が二回、三回と訪れる度、理解を  深めようと必死で単語を思い出しました。 帰りには知って居る限りのあらゆる感謝の言葉を述べました。    前回は夜行列車だったせいか別れ際、泣き出したくなりましたが、最後かも知れない今回は昼間だったせいと、別れが彼らの幸せに繋がる事なので、笑顔で別れました。 

ホナカー家がテキサスへ帰る事は、彼ら一家が長年望んで来た事。 テキサスに帰れば今後は希望する職を    選べるそうで、ベニーさんは軍隊を退役して好きな仕事をしたいそうです。 昔から手を油に染めて~大好き    だった車の仕事を~

ドイツ在住中のこの一年程、ベニーさんはベトナムへの仕事が多かったそうです。 救急隊で負傷兵の救助の為、週に2~3回往復するそうですが、余りに悲惨で『ベトナムの仕事は一年で沢山だ』と言っているそうです。 ベースに住む米国人家族は、早く、ベトナム戦争が終って帰国出来る日を望んでいました。
 
ベニーさんの仕事、彼女のサン・アントニオ時代の話、子供達の事等、沢山話しました。 洋裁の話もテキサスのお母さんから送られて来る型紙、生地を見せて貰いながら女同士のお喋りは尽きません。 もっと英語が自在に話せれば~色々お喋り出来たでしょう~~

フランクフルトを発ったのは16時15分、素晴らしく晴れ渡った日でした。 目に入る風景を全て詰め込もう~    何一つ見逃すまい~と窓にかじり付いていました。 五月半ばの夜8時、未だ陽の高いドイツの平原を走り抜ける車窓からの眺めは、私が描ききれなかったヨーロッパの景色でした。
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果てし無く広がる大地。 放牧された牛の小さな群れが其処此処に… 平原の合間~合間には小部落が~  文学的才能の乏しい私が、この美しさを表現するには、余りにも難し過ぎる印象深い風景でした。 

学生時代、読書しなかった私ですが、少ない中でも好きだった《怒りの葡萄》  読みながら描いた風景に似た  ものを、この大地に感じました。 絵葉書、映画そのものの様な~ 大地を走る汽車の旅、西ドイツの自然も又、忘れられない経験、思い出の一ページを心に綴る事でしょう。 

巴里へ着いて駅から下宿へ電話を入れたのが夜11時。 11時半に下宿に着きました。 
部屋の枕元のスタンドが燈され、ベットカバーは取り除かれ直ぐに寝られる状態になって居ました。
優しいマダムの心遣いに感謝です。
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by paridayori | 2011-05-23 08:49 | 風景 | Comments(0)
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夢を叶えた落ちこぼれの巴里修行


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