C型肝炎の馴初め(II)
お医者様が隣人だった為 〚毎日通える〛と自宅療養を選択。 毎日、右 & 左の腕に
交互に2本の注射をされた。 何の注射か等、知る由も無く~ ひと月の治療に専念
C型肝炎等、調べる事も無かったのだろう。
※今回の治療で、C型肝炎の感染経路が注射器と伺って思い及ぶのは、夏休みに
入って直ぐに風邪で、他の医師が注射を打った覚えがある。 急に胃腸炎の様な
症状が出始めたのは、8月末。 9月1日の始業式から病欠で、ひと月の休学。
勝手な憶測では有るが、あの時の注射器で感染したか~¿?
横道に逸れたが~医師の治療の他、食事療法も併用で塩気:油抜き:魚は白身だけ
の制限。 元来塩気好き:特にお菓子は当時唐辛子の効いた [イカのげそ] 硬い
イカの足をしゃぶるのが好きだった。
逆にお萩とか最中:練菓子:和菓子は苦手。 子供の頃、毎週日曜日、母は小豆を
煮て、父の大好物 [お萩] を造り家族全員を喜ばせた。 ひとりだけ [お萩] 苦手で
もち米の塩🍙おにぎりに梅干を入れて食べた。 それ程の塩好きにとって、塩抜き
食事療法がどれ程辛い治療だったか~😢
『あの時は、私も辛かった~』 と母も回想談でこぼして居た。 そんな経験を持つ
娘の健康を心配して、渡仏を一番反対したのが母だった。 3歳の頃には、
腎臓を患い治療に通った御徒町の医師が居なければ、助からなかったとの話も
聴かされ、本来 [ひ弱な子供だった~] 今は信じて貰えないが~(苦笑)
顔が異常に浮腫み:検査の結果、腎臓障害でスポーツ:禁止令が医師から通達
された。 思春期の頃 『好きな事も出来ない体質』 を悩み健康管理の為、常に
塩気控えめの生活習慣を強いられた。
そんな多種多様の経緯を携え旅立った。 フランスに来て独り暮しを始め、健康
管理には拍車が掛り、十二分に気を付ける様になり健康体を心掛けた。
何時も帰国を促した母だったが、有る時 『貴女にはフランスの水が合うのね』
と、健康的な自己管理を理解~¿? 以後は帰国の催促をしなくなった。
結婚も若い頃は 『早くお嫁に~』 と口ずさんで居たが、独立心の強い事を確認
したのか、独りで生活出来る状況を見極めて [大丈夫] と思ったかどうか、何時
しか何も云わなくなった~ホッ!!
そして少しでも心配を和らげる如く、拙い手紙で日常生活を其の侭、報告
して来たのが、この手紙だった。 母が『年取った時に読み返すと良いよ』
と300通余りを、大事に保管して呉れて居た。
気恥ずかしくて読み返す気にならず其の侭にしたが、母が亡くなってから
ある夏:帰国の折に、押入れを片付け乍ら、手紙の入った缶を見付けた。
缶に入って居たとは云え、日本の湿気~ くっ付いた手紙を虫干ししながら
読み始め、懐かしい昔を思い出した。
古書店を営む仏友人に話すと 『 記録としてPCに打込んで置くと良いよ』
と云われたのをきっかけに一念発起。 全てを其の侭:書き写し終えた頃、
ブログの流行に影響され [思い出の頁 ] を造って保存しようと初めたこの
[巴里だより] 2010年10月にスタート:振返れば既に8年目。 もっと
書いた筈だが、家族みんなで回し読みした後 [行方不明~¿?]
残る便りだけを頼りに構成した。