III) 渡仏決意の要因
渡仏の決心は当時の健康状態も一因だった。 今思えば、このC型肝炎の
感染が原因だったのだろうか⁇ 18~20代初めの頃、頻繁に体調を崩し
月一度は [ 胃が悪い ] と原因不明の体調不良で会社を休む事が多かった。
そんな状況の折、当時好きだったフォークグループ [ シューベルツ ] の
ベーシスト:白のベースを格好良く弾いて居た方が、同世代で亡くなった
ニュースも衝撃を受けた。 『若くても死ぬ~』風に自分の体調不良と
重ね合せ『こんなに具合が悪い私、若しかしたら長生きしないかも~』
風な気分に陥り『生きて居る内に好きな事:出来る事をしよう』と思い
始めた。 何時もオーバーでは有るが、この頃は真剣に悩んだ~😔
そんな矢先、巴里:オートクチュールを経験され帰国された:セツモード
セミナーの先輩:デザイナー[ 𠮷田ヒロミ ] さんに紹介され、身近にお話
伺う事が出来、多大な影響を受けて渡仏を決意~💛
自分の着たい服を造る為、世界最高の技術〚オートクチュール〛のメゾンで
学びたい:習得したいと云う夢を抱いて無謀な望みを叶える為 独りひっそり
準備を始めた~💼
と云っても両親への対応が心配で、姉妹弟には相談を持ち掛けた。 既に
好きな路を歩み始めて居た姉妹弟は『4人も居る内、独り位、外国へ行っても
問題無いんじゃない~¿? やりたい事やった方が良いわよ~‼』『貴女が
居なくても、我々が両親の面倒も見られるし~』と即全員の理解は得られた。
然し問題は母親だった。 病気持ちの娘の心配も有って『そんな所へ行く前に
お嫁に行って~』と云われ反対されたが意志は固く『好きな事せずに、お嫁に
行っても、多分かえって来て渡仏すると思う~』と勝手な言い分で母を呆れ
させた。『大丈夫、帰って来たらさっさとお嫁に行くから~』渡仏前は一応
そのつもりだった〈苦笑〉
理解者は父親『巴里に行って何が出来るのか??』理由を述べると、二年の
約束で許可して呉れた。 父曰く『貴女達(子供達)は自由だ、人に迷惑かけず
自分で責任取れれば、何でも好きな事をしなさい。 協力が必要で有れば
何時でも協力する』と。
る事無く、自分の好きな路を歩む~ 今でも心に焼付けて何事にも挑戦。
好きなことをする自由って一見凄くリベラルだが、其処には何時も自己管理
と云う重要な課題を背負って居た。 仏国に於いては其れが普通、当然の社会
だった事が、即順応出来た要因だと、父に感謝。
と改めて自己分析。 何時この世を去っても悔いない、幸せな人生に恵まれた
運命に感謝感謝。 そして出来損ないの娘を暖かく見守り、精神的安心感を
もたらせて呉れた両親:家族に感謝の念は絶えない~!! この先も運命に逆ら
わず自分の性格に沿って、勝手気侭に歩む自由な路を辿る事だろう。
呆れて居る事だろう。 『頭悪くても、お金なくても、健康が一番』と、
何時も冗談云って母を呆れさせて居た父の笑顔に、損得も忖度も通用しない
真っ当な、本音の人生が送れる喜び、そして幸せな家族の存在が、47年の
自由な独り暮しを支えて呉れて居る~🙌
子供無しに拘らずまさか5人の孫紛いに惹く手あまたの喜びを味わえる何て
人生なんてこんな物かも~¿ 自然体:本音で生きられる事が、一番幸せ
では無いだろうか~¿? なる様にしかならない~と勝手に納得~◎^●^◎